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広東料理とは

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広東料理とは

広東料理とは

2022/08/24

 広東料理って、どんな料理なの? と問われたなら、どのように答えますか?

 

 中華人民共和国は世界最大級の広大な国土を誇る大国であり、地域により人種も気候も言語も大きく異なり、当然、料理も習慣もさまざまです。中国文化が形成された年月も悠久といっていいほど長く、料理一つを採ってみても多種多様、素材も調理方法も極めて多岐にわたります。そうしたなかで、我が国、日本において(おそらく、世牆各国においても同様に)人気の高いものを挙げるならば、①北京料理、②上海料理、③四川料理、そして④広東料理ということになりましょう。近年では、留学生や観光客、さらには仕事を求めて日本にやって来る中国人も目立って増加していますので、台湾料理や湖南料理、東北の料理を提供する店も少なからず存在します。

 

 しかしながら、日本の中華料理レストランを概観するに、ほとんどの店が中国各地の料理を「ヒット・パレード」式に取り揃えたメニューで営業しており、専門性、正統性、独創性の高いレストランは数えるほどしかないのが実態です。一部のグルメ層の方々を除けば、お客様ばかりでなく、レストラン側の人間でさえ、四大中華料理の何たるかさえ認識していないのではないかと思えるほど、どのレストランでも、ほとんど同じ料理をメニューに載せ、どちらが高いの安いの、どちらが旨いのまずいのと、そんな競争を繰り広げているかのようです。

 

 そこで、改めて、中国の四大料理の特徴をおさらいしてみたいと思います。当店は広東料理専門店ですので、まずは広東料理から。

 

 広東料理とは広東省内の各地の名物料理の集大成であり、このなかには大きく分けて、広州料理、順徳料理、東江料理(客家料理)潮州料理の四つがあります。広州は、昔から「食在広州」(食は広州に在り)といわれるように、食の中心地ではありますが、広州料理がいちばん美味であるということでは必ずしもなく、交通の要所であった広州において、広州料理ばかりでなく、他の地方の料理も数多く存在し、それらが融合して、さらに改良を加えながら広東料理の原型が形成されていったということであって、特一級などの称号を持つ傑出した料理人は順徳出身であることが多く、一方、もともとは広東省の一部であった海南島(現在の海南省)の海南料理は、その味付けや調理法から、福建料理の系統と考えるのが妥当という面もあります。

 

 広東語である「飲茶」や「雲吞」という言葉が、英語でも日本語でも、そのまま外来語として使われていることからも明らかなように、広東料理は中華料理のなかでもっとも世界中に広まっているものといえます。これは、清代以降にアメリカ合衆国やハワイ、東南アジアの国々に移住した中国人の多くが広東省出身者であったことも原因のひとつです。日本でも、横浜中華街や神戸南京町には広東系の華人が多く、広東料理店の数も多いです。

 

 中華料理というと、脂肪分の多いこってりとした料理を想像しがちですが、広東料理は「上湯」という澄ましスープをもとにしたあっさりとした味付けが特徴で、とりわけフカヒレや燕の巣、乾燥鮑をはじめとする海産の乾物料理は総じて薄味で、素材そのものの旨味を活かした料理が多いです。調味料としては、砂糖、塩、胡椒、醤油、米の醸造酒と「上湯」スープを用い、葱と生姜で味を調えますが、食材にあわせてオイスター・ソースやXO醤、魚醤、蝦醤、腐乳、豆豉(トーチ)なども使用します。海鮮や乾燥食材など高級食材を多用することから、高価な料理もメニューに掲載できるため、経済発展とともに、中国各地でも広東料理店は増加傾向にあります。我が国においても、1970年代までは四川料理や広東料理主体だった中華料理界も、高度経済成長の結果、80年代になってグルメブームが起きてから後には、四川料理店でもフカヒレをメニューに揃え、もともとは上海料理系列だったレストランが広東料理に乗り出すなど、その傾向が顕著になってきました。

 

 代表的な料理に、フカヒレスープや姿煮込み、燕の巣のスープやデザート、干し鮑や干しナマコ、干し貝柱の煮込み料理、広東式の焼きもの(叉焼や鴨のローストなど)、海鮮のあっさり炒めや魚の蒸しもの、広東式の點心、西洋料理の技法も取り入れた海老のマヨネーズ炒めや白菜のクリーム煮、マンゴプリンやエッグタルトなどがあります。

 

 中国の歴史は、清の時代にいたるまでは、洛陽、長安、成都といったように「長江(揚子江)」と「黄河」流域に広がる「中原」と呼ばれる肥沃な土地を巡って展開されてきましたが、いずれも内陸に位置し、海がないために海鮮料理が存在しません。現在では冷蔵・冷凍でののデリバリーが可能となっていますが、ごくごく最近までは、四川料理や上海料理に使われる魚は川魚と決まっていました。それに対し、広東省は南シナ海に面しており、海の魚はもちろんのこと、フカヒレや鮑、ナマコや貝類、海老、蟹などの甲殻類や海藻など、豊富な海洋資源を活用できることがアドヴァンテージとなって、海洋国の日本に住む国民にとって馴染みやすいということは確かでしょう。

 

 王侯貴族といった特権階級を除いた、われわれ一般の国民にとっての料理史を振り返ってみますと、所謂「グルメ・ブーム」と称される潮流が起こったのは1980年代(JAPAN AS NO.1)になってからのごくごく最近のことで、そのための必要条件は戦後の高度経済発展による所得の増大とマーケットの拡大でした。その結果、私達は、もしかしたら、今日のディナーにかぎっては、天皇陛下が召し上がった料理よりも美味しいものだったかもしれない、などというような状況が現実のものとなったのです。かつては、そのようなことは絶対に在り得ないことで、戦後の荒廃した時期ばかりでなく、それ以前も、庶民の幸福といえば、空腹を満たすことでしかなかったのでした。

 

 戦後の高度成長の真只中にあって、20世紀末までの中国はといえば。共産化し、「眠れる獅子」といわれたように、庶民の生活はきわめて制限されたもので、優れた料理人がいたとしても、彼等が真剣に腕を振るう場面など、ほとんどなくなってしまっていました。しかし、皮肉なことに、1997年迄英国に割譲され、信託統治地区となっていた香港では、資本主義経済が機能しており、そこには優秀な料理人の腕を高く買うマーケットが存在し、香港は東南アジアと西洋とを結ぶトレード・センターであり、ファイナンシャル・センターでした。そこは中国で唯一の国際都市であり、インド人がターバンを巻いてナイト・クラブのドア・ボーイをしていたり、フィリピン・メイドが住み込みで家政婦をしており、インドネシア人やタイ人の経営するエスニック料理店の前に行列ができる、といった光景が当たり前に見られ、世界中からトレーダーやバンカーやツーリストが集まってきていました。ここには「旨いものになら、金はいくらでも払う」という世界各国から訪れるグルマンが集い、腕に覚えのある料理人が一旗揚げるのに格好の舞台があったのです。こうした状況を背景に、20世紀後半の香港には、舌の肥えた美食家達を相手に名厨師たちが鎬を削るという、今となっては夢のような世界が存在しました。こうして、広東料理は、国際都市「香港」において、世界の食通達を驚嘆させるまでの洗練されたレヴェルにまで昇華され、国際水準に達した中華料理として人気を博したのでした。

 

 次回は、「北京料理」をおさらいします。ご期待下さい。

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