葉先生のこと
2022/09/02
《茗圃》の名付け親であり私達の中国茶の師匠である「葉 榮枝(イップ ウィンチ)」先生のことは、多くのメディアや文献で既にご存知のことと思うので、ここでは、思い出に残るいくつかのエピソードを紹介したい。
私が葉先生とはじめて出会ったのは今から20年前、2001年のこと。世田谷の「茶壺天童」の井上さんから、香港三茶人のひとり「葉 榮枝」先生が岩茶をテーマとした講演会を開かれるので来ないかと声をかけていただき、参加することにした。先生は渋谷の道玄坂にあった中国茶専門店の茶藝講習の検定試験の審査員として来日されており、その合間に講演をなさることになったのだ。講演会は二日間予定されていて「どちらにするか?」と聞かれたので、「両日とも参加したい」と答えたところ「それは丁度いい。あんたは英語を話せるし、車も持っているから、ドライヴァーをやってくれないか?」と依頼された。「先生は茶藝家であるとともに書道家であり文藝一般にも造詣が深い方で、宿は神田周辺となるので、世田谷からタクシーを走らせるとなると、二日間で数万円についてしまう。それよりは、先生に講演料をはずんだ方がよいので、ぜひ頼む。」とのこと。「香港三茶人」のひとりと直にお近づきになれるチャンスだと思い、喜んで引き受けた。
思った通り、二日間の講演会は、テーマは同じでも、それぞれに有意義な、素晴らしい内容だった。受講者で二日とも出る者はほかにはいなかったし、運転しながらのお話もはずんだ結果、「あなたは熱心だし、何か手伝えることがあるなら、やってあげるよ。」と仰っていただいた。私は、「先生、私にそんなことを仰ると、本気にしますよ!」と申し上げると、「約束だ!」と握手して下さった。
この「縁」を確かなものにしておきたいと思った私は、先生が帰国なさったところへ、間髪入れず香港へ渡り、香港公園のなかの『楽茶軒』を訪ねた。先生は「もう始めるのか?」と驚いたご様子でお尋ねになったので、「いえ、まだ先のことです。でも、先生のお気持ちが変わらないうちに、ご挨拶だけでもしておきたいと思ったのです。」とお答えすると、「わかっている。約束は約束だ!」と、ふたたび力強く手を握ってくださった。
それから8年後の2009年12月、葉先生は私達の新しい店に《茗圃》という素敵な名前を付けてくださったうえに、オープニングに際しては、みずから来日され、祝辞までも賜ることが出来た。翌年の「春節」のイヴェントでは、香港のお正月料理「盆菜」と「擂茶」を直々に紹介し、実演して下さった。先生の、心のこもった温かいご支援に、《茗圃》のスタッフばかりでなく、イヴェントに参加されたお客様も、感謝と感動の思いに満たされた。
開店して一年が経とうかという頃に、『楽茶軒』の上環店を任されていた中田 有紀が《茗圃》のメンバーに加わることとなった。10年以上にわたって『楽茶軒』に勤務し、先生の覚えも目出度い中田女史が移籍するとなると、『楽茶軒』に御迷惑をおかけすることになるのではないか、と懸念する私に、先生は、ひとことも小言を仰るでもなく、それをお認め下さった。そうして、《茗圃》は、名実ともに、茶藝師と點心師とを擁する「飲茶」レストランとなった。
《茗圃》は開店以来、古川美術館、及び古川知足会と親密な関係を結ばせていただいており、2015年の「為三郎記念館」開館20周年の記念行事として、中庭に設けられた檜舞台での茶会開催の依頼を受けた。その際には先生のお出ましを願って、潮州工夫茶のお点前を演ずる茶席をもつことが出来た。先生が潮州工夫茶の二十五序を読み上げ、中田がそれを実演し、私が日本語で解説することとして、三席の茶席を挙行した。
《茗圃》とは「茶園」という意味である。現代では「飲茶」というと焼売や餃子をイメージするが、本来の意味は、読んで字の如く「茶を飲む」こと。「茶園(ティー・ガーデン)」で「飲茶(茶を飲む)」する。西洋人が魅了された中国伝統の「ティー・セレモニー」の文化を再興し、世に広めていくというミッションをもってオープンした。当店の名付け親にして後見人の葉 榮枝先生の名に恥じぬ活動を続けていけるよう、スタッフ一同、あらためて決意と誇りとをもって、「飲茶の殿堂」を目指して邁進していく所存である。
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茗圃
〒460-0008
愛知県名古屋市中区栄2丁目12-22
電話番号 : 052-253-7418
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