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中秋に因んだ中国伝統の銘菓、「月餅」

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中秋に因んだ中国伝統の銘菓、「月餅」

中秋に因んだ中国伝統の銘菓、「月餅」

2022/08/18

中秋とは旧暦の8月15日のことをいい、中国では、この日に満月をめでながら「月餅」を食べる習慣があることは、皆様もよくご存じの通りです。本来は中秋のお菓子であるはずの「月餅」も、近年では、一年を通して、中華街や中華レストランで買うことが出来ますが、そもそも「月餅」が食されるようになったのは、いつ頃からなのでしょう?

 

中国では、永い歴史のなかで二回、支配権が漢民族以外の手に渡ったことがあります。それは、モンゴル人による「元」の時代と、満州人による「清」の時代です。

 

長く平和な時代が続いた「宋」の時代は、茶文化を中心に中国の文化が大きく花開いた時期であり、芸術的価値の高い数多くの作品が生み出されましたが、反面、宋代末期には、執政よりも芸術や文化に関心を傾ける王族の華美な生活と、実際的に政権を握っていた宦官の腐敗した政治体制を支えるために民衆の生活が圧迫され、広大な国境地域を護るために多額の費用を要する国防は疎かにされ、モンゴル民族の台頭に呑み込まれるようなかたちで、この時代は終焉を迎えることとなりました。

 

漢民族にしてみれば、遊牧民族であるモンゴル人は、闘えば強いけれども、農耕民族である漢民族と比較して、文化的洗練度は低く、生活様式も著しく異なるため、元の支配層の人々は「教養」に欠け、「礼儀」もわきまえない野蛮人に思えたのでしょう。また、清代の皇族と違って漢民族の風習に無関心で理解も示さなかったことから、元代の民衆は、表層的には従順を装うものの、内心は反発心が強かったと思われます。そうした国民感情を示すいくつかのエピソードが残されていますが、代表的なものに、次のようなものがあります。

 

昔々モンゴルの暴れん坊がいた。しばしば村にやって来ては食べ物を漁り、女を手篭めにする。村人たちはその者のことを恐れ嫌っていたが、あまりにも強いのでどうすることも出来ず、ただただ見て見ぬふりをするばかりだった。そのようなことが何度か続いたある日、村のある若者が、「一人ではどうにも太刀打ちできないが、皆で力を合わせれば、その暴れん坊を退治することが出来るに違いない」と考え、密かに一計を講じた。そして、中秋節に漢民族が「月餅」を皆で分け合って食べるその習わしに因んで、「月餅」のなかにその計画を忍ばせ、皆に配ったのである。モンゴル族は漢民族の習慣には関心を示すことがなかったために、その暴れん坊にはまったく知られることなく計画を周知することができ、満月の夜、首尾よく撃退することが出来た。そのことから、「月餅」は漢民族の団結と友愛の象徴として、広く食されるようになったということである。

 

それでは「月餅」は元の時代に造られ食べられるようになったのか?というとそうではなく、実際にはさらに古く、唐の高祖の時代に、大将軍李靖が匈奴との戦いに勝利して凱旋した際に、トルファン人が皇帝に献上したとされています。高祖李淵は、華麗な餅箱を受け、丸餅を切り分けて群臣に食べさせたそうです。また、南宋の『夢梁録』という本に「月餅」という単語が登場し、明代に『西湖遊覧志会』に記載され、初めて8月15日が「中秋」と呼ばれるようになり、民間で月餅を贈り合い、一家団欒の意味合いを持つようになったとのことです。

 

 

 

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